熱 1


頭が痛い。くらくらする。
誰かにひどく、頼りたくなる。弱っている、そんなことを考えるだなんて。助けてと、傍にいてと言いたくなるだなんて。

彼の名前を、呼びたくなるなんて。

「……けほっ」

ぼんやりとした思考の中、咳を一つ。自分以外だれもいないのに、周りに気を使ってしまった。嫌な癖だ。また、小さい咳を零した。外の喧騒が鈍く耳に届く以外、この部屋は静かだ。

熱い、怠い、辛い。
やっぱり、たすけてと、彼の名前を呼びたくなる。
呼びたくなって、――……呼んでしまった。

「せきや……」

あぁもうほんと馬鹿。呼んでも来るはずないのに。彼は今、学校で授業を受けて、適度にサボっているに違いない。すぐ傍にいるならまだしも、遠い彼の名前を呼んで、助けを求めるなんてどうかしてる。

後悔が波のように押し寄せてくる最中、インターホンが鳴った。しかし今起き上がる気にはなれない。押し寄せてくるのは後悔の念だけじゃない、熱と怠さもだ。元々元気がなかったのに、さらに奪っていく。

呼び鈴は何度も鳴らなかった。一度鳴ってから、沈黙が続いている。きっと鳴らした人は帰ったのだろう。悪いことをした。でも動けない。

不意に睡魔の気配を感じた。熱や怠さ、辛さを和らげるようにそれは浸透していく。体と一緒に思考も沈む。閉じた瞼から見えるのは当たり前に黒だった。何も見えない視界で、自分の熱さだけを感じていた。他には気が回らなかった。

「……黒瀬、起きてる?」
「――……な、は」
「あぁ、起きてた。おはよう」

聞きなれた声に瞼を押し上げる。見れば、そこに居たのは赤谷だった。先ほど、熱に浮かされながら呼んだその人だった。制服に身を包み、自分に向かって笑いかけてくる。好青年の風貌でたたずむ彼は、確かに赤谷だった。でもどうして。

「え、今日学校は……?」
「自主休校」
「は?」
「だから休み。黒瀬の看病するために、休んできました」

自分も馬鹿だけど、この人も大概馬鹿だ。ふつう、友達が熱を出して休んだくらいで自主休校なんてしない。

「……ばか、じゃないの」
「はいはい」

小さな罵倒は慣れているよと、赤谷は軽く流す。それから肩に掛けていたカバンを部屋におろした。手に持っていたビニール袋の中身を確認すると、赤谷は部屋を出て行こうとする。ドアノブを捻ったところで、振り向いた。

「もうちょっと寝てな」

バタン

返事を聞かずに部屋を出た彼は、一体何がしたかったのだろう。あまりに突然で、そして自然すぎて何も言えなかった。頭が鈍くなっているだけかもしれない。だが結局は何も言えなかったんだから結果は一緒だ。

「え、えぇ……」

結局は、赤谷の侵入をゆるしてる。

(……ちょっと、待って)

はっとした。もう眠気なんて微塵も残っていない。あるのは疑問だけだ。
どうやって、赤谷はこの家に入ったのだろう。セキュリティ抜群の、このマンションの11階に。

「赤谷!」
「ちゃんと寝てなよ」
「それよりも、どうやって」
「あぁもう、顔真っ赤。なんで寝ないの」
「いやだから、それよりも」
「早く寝なよ。熱上がるよ?」

話を全く聞かない赤谷は、それどころか背中を押してくる。ぐいぐいと押されて、焦った。まだ聞いてない。それは頂けない。これだけは聞いておかないと、と粘るために体を反転させた。のが間違いだった。

「せ、」
「黒瀬」
「っ、」

時折見せる、男の赤谷。好青年、優しい雰囲気。全てを取り払って、ただ男の姿だけを曝す。あたしがそれに弱くなると知って、わざと利用してくる。

なんて人。
でも、逆らえない。

「黒瀬、寝てないとダメだろ?」
「だって、赤谷どうやって此処に……」
「あぁ、そんなこと。教えるから、寝ててよ。お粥持って部屋行くから」

優しく微笑まれた。ズルイ。卑怯だ。あんなに凄んだ後に、そんな顔を見せてくるなんて。飴と鞭だ。良いように扱われている。たまらなく悔しくなった。なのにその余裕を求めてる。その強引さを欲してる。

「赤谷のばかやろう」
「はいはい、ごめんね」
「……ほんと、ばか」
「……黒瀬」

あぁ、もうなにこの人。なんでそんな、優しい顔、もうやだ。

やはり熱で頭は鈍っているらしい。正常に動いているようで、全く動いていない。見せかけの正常、裏側の脆弱。影を潜めているのは無防備だ。働きを怠る意識では、到底隠せそうにもない。

「……もう、寝る」
「うん、おやすみ」

返事をしたくなくなる。無言を貫いて、沈黙を守りたくなる。でもそれを許さないのが赤谷だ。いつも、いつも。怠って、手を抜いてきたことをこの人は叱る。まるで母親だと言えば、頬を撫でられたのは何時だったか。

「……お、やすみ」

(言、った……)

チラリと盗み見る。そこには満足げに笑う赤谷がいた。やはり、その姿は母親のようで少し恥ずかしくなる。その羞恥に負けて踵を返した。早足で部屋に戻りベットに潜り込む。部屋は静かだった。

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