熱 2


「起きて、黒瀬」

肩を揺すられる。降ってくる声は先程まで自分と話していたものだ。ぼんやりとした頭で辛うじて判断できたのはこれだけだった。

「黒瀬」
「……ん、あ……赤谷」
「うん、おはよう」

薄らと開けた視界には赤谷が、また嫌に優しい眼差しを隠しもせずに向けていた。恥ずかしい目だった。寝起きに見るようなものじゃない。惜し気もなく見せるものじゃない。でも安心している。

「……おはよ、う」
「お粥食べれる?」
「多分、平気」
「よかった。無理って言われたらどうやって食べさせようかと思った」
「……。」

無言でお粥を受け取る。どうしてお盆を見つけてこれたんだろうとは、もう思わない。この家の台所は、赤谷に酷く馴染んだ。何度もこの家に来てはご飯を作るからだ。自分と同じくらい知り尽くしている。

湯気を上げるそれを、冷ましながら口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼していく。口内に広がる味は、おかしな表現かもしれないが優しかった。キツくない。味わっていると、視線を感じた。しかしどうしてか、恥ずかしくてそちらを見れない。

「ねえ、黒瀬」
「……。」
「おいしい?」

呼びかけに応えないことは、赤谷の予想する範囲内だったらしい。返事を待たずに赤谷は言葉を続けた。優しい声色と言葉だった。しかし視線はそれらを裏切って鋭い。突き刺さるようなそれに、ゆっくりと赤谷を見る。

「おいしい?」
「……おいしい、よ」
「そう?」
「うん」

確かめるように聞いた後、赤谷は嬉しげに笑った。
(ばか)

「……それで、赤谷」
「うん?」
「どうやってマンション入ったの?」

「あぁ」赤谷は零す。すっかりと忘れていた様子に、少し呆れる。あんなに聞き出そうとしていたのに、赤谷にとっては特に問題ではなかったらしい。そのくせあんなに凄んできて、意味が分からない。あたしとのやり取りはどうでもいいんじゃないの。

「管理人さんに会ってさ、入れてもらったんだよ」
「……それはそれは」

嘘くさい。顔に出ていたのか、赤谷は苦笑いを浮かべた。ほんとだよと、そのまま言う。

「鍵はこの前もらってたし」
「……そうだね」
「問題解決?」
「一応、解決」

よかった。赤谷は笑って言った。相変わらず好青年のそれを忘れない人だ。

食べ終わったお粥をどうしようかと考えていると、気が付いた赤谷がそれを受け取った。フローリングに置くと、突然ベットに腰掛ける。ギッ、スプリングが軋んだ。ベットが沈む。赤谷は男の顔で笑っていた。

「……なに」
「大丈夫かなあって」
「なにが?」
「黒瀬は不器用だから」

むっ、とした。べつに不器用なつもりはなかったからだ。今まで不器用だなんて言われたことがなかったのも、気に障った原因かもしれない。それでも声を荒げなかったのは、赤谷の瞳のおかげだ。

暗い、不安や焦り、どことなく傷ついたような、そんな瞳。仄暗く、でもそれを覆い隠すように別の色が浮かんでる。ねえ赤谷、心配してるの。

「むしろ、器用貧乏だよ」
「うん」
「家事は得意だし節約だって出来る」
「うん」
「勉強だって問題ないし、何もトラブルにあってない」
「そうだね」
「だから、」
「そうだね」

赤谷は優しい声で遮った。そっと、頬に手を伸ばしてくる。するりと撫でられた。その手は少し冷たくて、熱のある自分には気持ちよかった。自分の熱が赤谷に移っていく。じわじわと触れ合う個所から熱を感じた。

合っているようで合わさっていない視線を、かちりと重ねる。男の、優しい、悲しい目。居た堪れなくなる。どうして傷ついたような目をするの。色々な感情がない交ぜになった目が心を抉る。

「……ばか」

わけが分からなくなって、言えたのはそれだけ。でも、それだけで十分だった。赤谷は酷く嬉しそうに笑って、愛情を孕んでもう片方の手で触れた。気がした。でもきっと、錯覚。両手で頬を包まれる。

「熱が下がったら好きなもの作ってあげる」
「きもいよ赤谷。彼女みたい」
「何言ってるの、俺男」
「じゃあお母さん」
「勘弁して」

困ったように笑ったのに、赤谷は楽しそうだった。そして満足げだ。瞳に揺蕩う仄暗い感情は霧散していた。それに安心しているのは、あたしの小さな秘密。

だめだよ。
(わかってる)

こつ、と赤谷が額を重ねた。至近距離で見つめあう。この世界に二人だけになったような、おかしな感覚を味わった。縛られたように動けない。

「……もう少し、寝てな」
「うん……」

安心する。返事をした直後に瞼を落としてしまえるくらい。
赤谷が笑ったのが、気配で分かった。ゆっくりと抱き込まれる。背中を撫でられて、優しくたたかれる。本当に母親みたいだ。でもこの優しさは無償じゃない。

「おやすみ」

額に感じた熱は見ないふり。




[熱]
2011/8/12
back