レンズ越しの秋空


レンズ越しで見る彼女は、どうしてか甘くて綺麗で。笑う横顔も、物悲しげな伏せられた瞼も、安心したように眼を瞑った寝顔も全部。全てが甘く、けれど酷く切ない映像の一瞬、映る心情。

―気付いたのは、偶然だった。



夏の緑は枯れ始め、紅葉の色合いが目立つようになってきたこの頃。私が所属する映画研究部はそれなりに忙しかった。学校内の静かな図書室で映画の撮影をしている。撮影と言うには拙い物だけれど。

後ろからカメラを覗き込む。カメラの画面に映るのは今撮影しているシーンで、主人公役の竹上さんだ。ふわふわのくせっ毛が愛嬌を滲み出している、可愛らしい女の子。今も浮かべている笑顔は綿菓子みたいだ。

「はい、オッケー」

一人の男子が声を上げる。それは今までカメラを回し、撮影をしていた菊池澄空だった。澄んだ空とかいて「そら」と読む、いつも必ず周りに人がいるような人。今も菊池の周りには人が集まっている。

「うわ、やっぱり竹上さん可愛いー」
「なんか素朴な感じの可愛さっていうの?」
「あ、それ分かる」
「癒しのオーラ出てるよなー」

男女一緒になって口々に竹上さんの評価を述べる人だかりを一瞥して、それから菊池は竹上さんに向かって歩き出した。近寄ってくる菊池に気が付かないで、竹上さんは周りの人と話し合っている。

「おい竹上、早くしないと遅れんぞ」
「え…あ!」
「早くしろよお前」
「分かってるってば!」

慌ただしく身支度を調えた竹上さんは鞄を手に、今まで撮影をしていた教室から走り去った。勿論最後に、笑顔で「またね!」と言うのを忘れることなく。その竹上さんの挨拶を合図に、他の人達も次々に教室を後にしていく。

残ったのは、自分と菊池の二人だけだった。私も菊池も、どちらもまだ帰る支度をしていなければ、変える素振りも見せない。揃って教室に止まり、この静かな部屋で息を潜めて殺している。

「……今日、告白だっけ?」

静かな教室には自分の声は思いの外良く響いた、菊池に尋ねた後、窓辺に寄り掛かりながらつい先程皆が見ていたカメラを回す。再生されるのは笑う彼女、振り向きざまの幼さ、後ろ姿の哀愁、それと。

(それと、)

「…そういえば、言ったな」
「だから聞いたんだけど」
「うっかり忘れてたんだよ」
「菊池にうっかりって似合わないね」
「って、めえ…!」

睨んでくる菊池を放置して、そのままカメラを覗き続けた。その様子を見て、菊池は諦めたような溜息を吐いて直ぐ目の前にある机に腰掛ける。がたんっと鳴った音は、先程の声のように響いて聞こえた。

「ねぇ、菊池」

怒りを露わにする菊池を無視して声をかける。菊池は脱力したように返事を返した。声には覇気がない。その原因は私だろうし、私だけではないだろう。覇気を感じないだけでなく、その声はどこか沈んでいた。

「……んだよ」
「いいの?」
「はあ?」

盛大に呆れたような、馬鹿にしたような声がした。少しむっとしたけれど、何も言い返さなかった。何も言わずに、菊池を見る。菊池は不機嫌そうな顔をしていた。そして次第にその表情を変える。泣きそう。

「デリカシーねえの、お前」
「菊池に対してはないよ」
「ひっでえ」

可笑しそうに笑った。でも眼差しは雄弁に物語る。抗えない今を菊池は突きつけられている。その傷跡を、私は抉っているのかもしれない。でも、文句は言われなかった。向けられた瞳は拒絶じゃない。

「……なぁ」
「なに?」
「俺って馬鹿なの?」
「……。」
「好きな奴が、他の奴と付き合えるように協力して、応援するのは、馬鹿なのか?」

私は何も言えなかった。菊池は構わず話し続ける。

「アイツが俺をそういう目で見てないなんて嫌でもわかる。だから、笑ってて欲しかったのに」

笑っててほしい。誰にも負けないほど、そのあどけない笑みを絶えず浮かべていてほしい。今日も、明日も。この先、ずっと。

独白は痛かった。胸を貫かれる。二人きりの空間は、二人ぼっちだった。そして、菊池は一人だった。なのに私がいるせいで、菊池は傷口を広げていく。ぽつぽつと口から滑り落ちる言葉は慰めにはならない。

「なんで、かなぁ……」
「……なにが?」
「俺、今、すっげえ泣きたい」

まるで泣くことが許されていないような言い方だった。泣く資格がないのだと、言外に言う。自分は、応援することを選んだから、泣いてはいけない。何もしていない自分が泣くなんて、何馬鹿なことを。

(あぁ、もう。この人は)

「……本当に、馬鹿だね」

菊池は驚いた顔をして私を見た。双眸には薄らと水の膜が見える。窓から差し込む夕日に照らされて、きらりと反射した。しかしそれに気付かず、菊池は硬直している。その姿はとても痛ましい。

「……お、まえは、失礼、だな」
「うるさい。泣きたいなら、泣いたらいいのに」
「ありえねえ。男がそう簡単に泣くかよ」
「簡単なことなの?」
「は?」

問いかけに、再び菊池は固まった。虚を突かれたような顔をする。その顔はひどく無防備だ。曝け出された感情が、揺れた瞳から伝わる。それは崩壊の直前に思えた。前兆に感じた。

「ずっと好きだった人に、好きな人が出来て恋人が出来て。それを間近で見て、見守って応援して協力して。自分には、もうどうすることも出来ない絶対の信頼だけが残って。なのに、泣くのは簡単なことなの?」

菊池は目を逸らすこともせず、私の言葉を聞いていた。そんな菊池を見て、本当に馬鹿だと思う。

怒ればいいのに、怒っていいのに。
これは菊池だけの問題で、感情で、想いで。他者が介入する余地はどこにも存在しない。菊池と竹上さんの二人で成り立つ出来事だ。なのに、第三者の私に、こんな無神経なことを言われている。怒って、いいのに。

「今までの時間は全部、どうでもいいの?」

目を見開いた。あまりの衝撃に、何も言えなくなる。だって、どうしてそんな。どうして、そんな静かに。落ちる沈黙はむごい。この瞬間をリアルにする。菊池の決壊は、悲しかった。涙が一筋頬を伝う。

「……菊池、」
「……っ、」

ごめんと、無神経だったと言えばいいの。謝れば、この罪悪感から逃れられるのだろうか。一筋だけ頬を伝った透明の涙は、もう取り返しがつかないのに。落下したそれは服に染みを作っているのに。

「信じ、らんねえお前……」
「うん」
「普通は、慰めるだろ……っ」
「……うん」
「なんで、泣かせんだよ」

菊池が何か言うたびに、ぼろぼろと涙が零れる。頬を伝い、服に染みを作り、床に落下していく。それを止める術を私は知らないし、菊池にはもう止められない。次から次へと溢れ出てくる。

「……意地っ張り」
「どっちが」

どちらともだ。泣かせてしまったのに、何もしない私も。泣いているのに、それ以上泣かない菊池も。本音はきっと、どちらも沈黙に隠してしまった。涙に隠れてしまった。

「……ねえ」
「んだよ……」
「泣きたくなったら、言ってね」
「……。」

問うような視線が向けられる。重なった瞳はまだ濡れていた。その姿を、菊池は今まで何度表に出しただろう。

「泣かせてあげる」

振りかざす傲慢。押し付けるエゴ。なのに菊池は笑った。涙の残る瞳を細め、恥ずかしそうに、苦々しそうに、どこか少しだけ、嬉しそうに。竹上さんには絶対見せないだろう、情けない姿だった。

「男前だな、お前」
「カッコイイでしょ」
「格好良すぎだ」

女にしておくには勿体無い。そう言って、菊池は近寄ってくる。すぐ目の前まで来て、菊池は私の肩に顔を押し付けた。左肩に温もりと、湿った空気を感じる。両腕を縋る様に両手で握られていた。

「同情でいいから、傍にいて」

同情じゃない。だけど、菊池がそれがいいなら、同情でいい。構わない。ただ、あのカメラに収められている感情が埋もれていくならば、なんだっていい。こんな不格好な友情なら、私は渡せるから。

次の日に会った菊池は、昨日よりも輝いて笑っていた。




[レンズ越しの秋空]
2011/9/14
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