約束 2


初めて会った時、当然ながら俺は硬直した。不思議そうに首を傾げた彼女に、けれど俺は何も反応出来なかった。だって俺はあの時、もう会えないのだと思っていたんだから。それは覆せない絶対だと。

「小さい頃の宏一郎さんは、きっと可愛かったんでしょうねー」
「男相手に言う言葉じゃないよそれ」
「だって、そう思ったんですもん」

思っても言うなという文句は飲み込む。きっと何を言っても、彼女の意見は変わらないんだろう。聞こえないように溜め息を吐いて、ふと嫌気がさした。どうしても諦め癖が直らない。

「あ、アルバムとかないんですか?」
「あー……ない」
「え、なんでですか!?」

(なんで、って……)

君のせいだよ。言いたい言えない。言っても困らせるだけだ。何の非もない彼女にそんなことを言っても、どうしようもないだろう。

だってあの時君は、写真に写らなかったんだから。
あの絶世の美貌を切り取れなかったんだから。
――俺の手元に、君は残せなかったんだから。

残っている写真なんて、数枚しかない。それも、人が写っていない風景だけ。俺にしか理解できない、大事な思い出の。かけがえのない恋情を切り取った、痛ましい写真しか。

「……写真、好きじゃないんだよ」
「でもよく私のこと撮りますよね」
「撮るねぇ」
「なのに、嫌いなんですか……?」

どこか不安げに揺れる瞳に苦笑いが零れた。広がる不安、心配、わずかな苦心。俺に嫌な思いをさせたのではないかと、そう思案する彼女の、なんて尊いことか。こんな奇跡、俺は一体どうするべきだったのか見当もつかない。

「写真に写るのがね、あまり好きじゃない」
「あぁ、よく居ますよね」
「そう。だから、気にしなくていいよ」
「え?」

不思議そうに眼を見張る彼女が微笑ましい。きっと知られているとは微塵も思っていなかったに違いない。けれど、そんなはずがない。でもそれも仕方がないと思う。どれだけ焦がれていたか、彼女は知らないから。

「君に関することで嫌だとか、不快に思うこと滅多にないからね」

目を大きく瞬かせて、生花は口を噤んだ。そうして堪らないように徐に顔を隠す。白くて小さい手の隙間から見えた彼女の顔は、信じられないほど赤かった。照れているのだと漸く悟る。

「生花……?」
「狡いですよね、宏一郎さんは」
「は?」

大げさに溜め息を吐いて、生花はぶつぶつと声を漏らす。なにそれ無自覚?性質が悪い。これが天然ってやつなのかなほんと困る。悪態をついているように見えるその姿は、赤く染まった頬では意味がなかった。

「ばーか」
「君ね……」
「あーあ、早く二十歳にならないかなぁ」
「いきなりどうしたの」

脈絡のない話の内容に困惑する。突飛な話題変換は、やはり女の子らしい。共有した一年間では知り得なかったことだ。それを嬉しく思う反面、少しだけ手加減してほしいなとも思った。

「だって、大人になったら手を出してくれるんでしょう?」

本当に、手加減してほしいと思う。

「――……は、」
「成人式の日の帰り、ここに来ますからね」

にこにこと笑って告げる彼女は、そうなることを信じて疑わない。真っ直ぐな瞳は困惑する俺を容赦なく貫いた。揺らがない色に、生花の絶対的な自信を垣間見る。この子、本気だ。

「ねぇ、生花」
「言い訳は、聞きません」
「え、は」
「何かしら思う所があって触れてこないんでしょうけど、それって結構酷いです」

だって、仕方がないじゃないか。この子は学生で、俺は大人だ。それも、あと数年したら俺は三十になる。数字的に見て完璧に犯罪だ。きっと先に生が尽きるのは俺が先だ。違う、そうじゃない。そうじゃなくて、

「……愛故だよ」

俺には、この子の人生を、ほんの数年でさえも手に入れられない。こわいから。

「酷い愛」
「君の発言の方が酷いよ」

それきり俺も生花も口を閉ざしてしまう。何を言ったらいいか分からない。何を言ったら傷付けてしまうか分からない。それでも離れてしまわないのは、これこそ正に愛故なのでは。そう思うのに、触れられない。

(これは、確かに)

「確かに、俺は酷いね」
「ぇ、……こ」
「でも、どうしようもないんだ」

触れるのが、抱きしめるのが、本当の意味で手に入れるのが、全部全部、こわくて仕方がない。だって、触れた瞬間彼女が消えてしまって、この手をすり抜けてしまったらと思うととても。

だけど裏腹に、誰にも取られたくないと切に願う気持ちに俺は気付いている。再会したあの日から、ずっと。

「……だから婚期逃したら、もらってあげる」

それこそ全部。でもできれば、俺の知らない所で幸せになればいいと思う。俺ならこんな重たくて相手を傷付ける愛情、欲しいだなんて思えないから。傷付いてる泣いている。気付いてるのに何もできない愛は、誰にも渡せないよ。

「じゃあ、私の結婚式は25歳ですね」
「……なんか、君さぁ」
「嫌なら二十歳でゴールインですねっ」

泣いても傷付いても君の幸せを願うなんて、純愛を通り越した狂気に近い。そんな感情、生花には全く似合わないというのに。どうしてそんなに幸せそうに笑うんだろう。あの最後の日に見たような顔で。

「大丈夫ですよ、宏一郎さん」
「なにが……?」
「年の差なんて、些事です。問題なのは、ふたりが愛し合っているかですから」
「マセてるね」
「結婚は誰でも夢見るものですよ」
「……そうかな」
「そうです」

あぁでも、確かに些事なのかもしれない。年の差も、燻る狂気も恐怖も。だって俺は彼女以外愛せないと、結局馬鹿みたいに泣き続けてきたじゃないか。優しい恋がしたいと心を馳せながら。

「幸せにする」
「こう、いちろうさん」
「残りの時間をかけて、幸せにする。幸せにしたい、させて」

もしかしたら、これが優しい恋なのかもしれない。痛ましい日常を過ぎて、そうして生まれた俺なりの。

ただこの子を幸せにしたい。傷付けても泣かせてしまっても、それでも、それ以上に暖かい気持ちをあげたい。だからやっぱり、これは優しい恋なんだ。愛情と恋情が混ざった、愛おしい感情なんだ。

「約束ですよ……っ」
「あぁ、約束だね」

残りの時間をかけて幸せにするという、約束。




[約束]
2012/03/15
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