夜明けの落下


初めて気が付いたのは、あの白磁に触れた時だった。
折れそうに弱い手首を、そのまま。そう思ったのは、初めてだった。

薄暗い部屋。カーテン越しに届く淡い月明かり。落とされた照明。全てが暗い夜を教えてくる。暗くて、仄暗くて。燻って仕方がない劣情を、どうしようもなく煽ってくる。しかしそれは全部言い訳だった。

「……ちとせ」
「っ、……な、に」
「苦しい?」

自分の下であられもない姿を晒し、白い肌を赤く染め上げ、瞳を濡らしている女の子。中を抉るように動かせば、その一つ一つに反応を返してくる。息は荒い。体は熱い。理性は焼き切れてしまって、どこにあるのだろうか。

あまりに苦しそうに眉を寄せているものだから、つい聞いてしまった。彼女にその苦を強いているのは自分なのに。千尋の苦しくて苦しくて、その裏に見え隠れする快感を見付けて歓んだのは、俺自身なのに。

千尋が震える唇を、そっと開く。整えるために吐き出された吐息が、とても熱っぽく見えて。涙を溜めた瞳がか弱くて。上気した頬が可愛くて。白磁の肌が、自分の手によって汚れているのかと思うと、とても。

「――……く、るしい」
「……うん」
「聡史、は?」

千尋の手が頬に触れた。そっと、優しく。労わるような手のひらに、黒い感情が湧き上がる。そんなに優しくされたら、俺は君をきずつけられない。

「俺は、」
「うん……」
「ごめん」

何がごめんなのだろう。どうせ、止まらないくせに。きっと今、キスをしてしまえば容赦なく劣情をぶつけるくせに。千尋のことを何一つとして考えられないような、酷い男のくせに。

「そう、し……?」
「俺ね、最低なんだ」
「知ってる、よ」
「だよね」

わざと中を抉る。千尋は素直に反応を返した。「……っ、ぁ」。小さく声が漏れる。扇情的で、どこまでも魅惑的な声だと思う。姿を潜めていた爛れた空気がぶり返す。引き摺られるように、千尋の瞳がまた濡れた。

「だから俺、千尋の苦しんでる顔見て興奮してる」
「へん、たい……っ」
「ごめん、ごめん」

でも、受け入れてほしい。
全部じゃなくていいから。ほんの少しでいいから。
こんな馬鹿みたいで最低で、劣情に溺れる俺もいるんだと知っていてほしい。

折れそうに細い白磁に初めて触れた時、どうしようもなく不安になった。そして傷付けて、疵付けたいと思った。舐めて食んで痕をつけて、その白を無機質な白が包む姿は、どれだけ綺麗だろうと。俺はあの時、初めて思った。

歪んでる。最低で、とても醜い。これが愛情なら、なんて卑しいんだろうか。

「聡史……」

細い熱い指先が、俺の瞼の下を撫でる。触れ合う個所はどこもかしこも熱い。これは劣情の表れなら、千尋も欲情しているんだろうか。千尋を見れば、どこか淡く、そして誘う様な貌で嗤っていた。

「きもちいい、よ……?」

そんな苦しそうに眉を寄せているのに?そう問うてはいけないのだと、それだけは理解した。熱に浮かされ、さらに自分で穢して汚して、滅茶苦茶にしてしまえと囁く本能の隅で。

「……Мなの?」
「ばか」
「うん、……うん」

止めていた手を動かす。頬から滑らせ首筋、鎖骨と徐々に下におろしていく。下腹を撫で、太ももの付け根を撫で、厭らしい手付きで脚を掴む。千尋の体はやっぱりどこも熱くて、きっと俺も同じなんだろう。

「ちとせ、すき……」
「ぅ、んんっ」
「だいすきだよちとせ」

言葉が舌足らずで滑り落ちる。欲情が止まらず溢れ出る。愛染に染まる頭では千尋を労われはしないのに、それでも構わず離れまいと、首に腕を回して抱きついてきてくれる彼女が、愛しくてたまらない。

だからごめんね。俺はこんなに最低な奴で。泣きたくなるほど悪いと思うのに、止められない俺は馬鹿だね。

自嘲が漏れる。浮かぶ自虐的な笑みを隠したくて、さらに腕に力を込めた。耳に千尋の息がかかる。ああ、唇が近いのかと思った時、千尋が口を開いた。

「わたしも、そうし、すきだよ」

なんて人だろう。優しくて、損するタイプだ。俺みたいな狡猾な人間に付け入られるタイプだ。そうしてきっと、ずるずると、底の果てまで落ちていく人だ。俺に引き摺られて、一緒に落ちてくれる人だ。

落とそうとしているくせに。理性が囁く。それに嗤って、俺は気付く。爛れるような時間に溶けて、どこまでも墜落してしまいたいのだと。道連れにして、世界にふたりきりだと錯覚したいのだと。

午前二時半、まだ薄暗い窓の外。劣情と欲情に、ふたりで一緒に落ちていく。




[夜明けの落下]
2012/04/30
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